spaceoddityのメンタルヘルスってなんだすか?

お馬鹿な一日今日も元気だぞー

うはうわ日記

どのなにか分からなかったけど立ち読みしたものの覚書。

ユング派を構えの実践として位置付けサリバンが展開してきた病者への尊重と共感(生物社会心理モデル的な)を視野に入れて現代の脳科学の知見(といっても解釈装置モジュールしか提示してない)によって認知行動療法の理論的基盤は崩れ去り、ユング精神分析がその知見とともに新たな可能性を唯一もつものであると述べる。それはいかがかと…。態度のあたりまではおもしろかったけど…。

 

とりあえずいくつかよくわからないとこがあった。1つはユングを「好きでもあるしきらいでもある」と自身のユングに関する態度をそのようなものとして提示しているところ。研究者、臨床家にとってそのひとが寄って立つ対象を「好き嫌いの対象」として捉えているところに疑問がある。そういったことって実は「好き嫌いの対象」ではないことが重要なのではないか?2つ目、理論中心主義としてフロイト一蹴、それに対する臨床に開かれた(というか理論化できずに臨床における経験を優先した(かのようにみえた?)ユングを臨床的な側面から擁護するのは眉唾。それに一個人のユング派のいうユングの開かれた分析心理のあり方ってかなり危ういものでもある。つまり、個々人の技量によってユングの実践と理論は都合の良いように利用されてしまうのではないかということ。それならば、ユング派心理学というもの自体がおかしいし、そこで語っている「あなた」は誰だという疑問が残る。3つ目、脳科学の進展によって認知行動療法は廃れていき、ユング心理学こそが脳科学とともに臨床場面や研究に多いに役立ち得るという位置づけはいかがなものか。なぜユング心理学のみなのか。しかもそこで語られる脳科学とは「解釈装置モジュール」のみであって、ユング理論に都合の良いところだけとってこられても胡散臭い印象を受けるだけ。もっと十分な理論的説得がそこでは必要。あまりにも適当すぎる。なんじゃいそれ。