げげげ…現代あーちょ
長谷川裕子氏の『「なぜ」から始める現代アート』をトイレで完読。
これは本書では「入門ではない」と断言されているが、優れた意味で「良い入門」ではないかしら。というのは、コンテンポラリーアートを語ることは、常に「入門」みたいなもんじゃないかしらと思っているが故。
ここで語られていることって時間をかけて綿密に調べ上げられたり、分析されているものの語りでは決してない(多分)。
モダニズムから続く現代美術批評の文脈や用語をふまえて、現在進行形でわっさか出てくる現代アートたちを語ることは、特別な専門性を十分に必要とされることもあるけれども、それよりもむしろいかに語る人が自分の経験を開き、他者に語ることができるのかが重要になってくる(適当ですがなにか?)。
そこには専門性の高い知識よりもより多くの経験値が必要になってくるはずだ。その経験値を有し、おきまりの専門性に頼らない語り手として長谷川裕子殿は優れたナビゲーターであると思う。
愛して見るっていいですね。愛を感じたな。