spaceoddityのメンタルヘルスってなんだすか?

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こころのにっき

久しぶりに心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う (新書y)をぱらぱら読んでみた。

小沢・中島は「心」へと問題を回収してしまう心理主義の問題を取り上げる。具体的には「心理学的な発想や対応また商品化の問題、つまり社会現象としての心理学の大衆化と操作性また政治性」を問題含みなものとして捉える。

心理学という学問がどのように社会のなかで機能しているかといった諸々の問題を取り上げることによって、そこで隠蔽されてしまっている社会的な問題(まぁいろいろ)を明らかにしていく。

似たような議論として心理学化する社会 (河出文庫)というものがのちにでてきたけど、ここでも別のところでも展開された小沢の主張(「心の専門家」はいらない (新書y))に概ね同意している。

だけれども、小沢らが示す「心の専門家を無くすこと」への先にあるものは、「貧困」を前提とした「古き良き共同体の復権という幻想」にしかならないと、まぁ彼女/彼らの問題意識や具体的な立証などには概ね納得するものの結論部分ではまったく納得できるものではないと指摘する。そう全うな批判かもしれないけど、その先にある代替案はとんでもにあユートピアなのだよね。具体的な内容も提示されていなかったようにも思えるし。

 

で、小沢・中島氏や斉藤氏への批判として書かれた論文的なものが心理主義化する社会 (シリーズ「社会臨床の視界」)に収められた森真一「社会の心理主義化をどのように捉えるか?:3つの立場」といったものだった。

ここでも小沢、斉藤らの議論を参照し、「社会の心理化現象」の議論に賛成しつつも小沢においては、やっぱり「古き良き共同体の復権という幻想」という点で批判し、斉藤においては「ラカンという〈信仰〉」に基づいたものだと批判する。まぁ斉藤に関する批判は微妙なものだ。斉藤が「精神分析家として語るのではなく精神分析家のように語ることで、精神分析学がはらむ幻想から逃れることができる」と述べていることについて、非常に無責任で言語道断だと痛烈に非難する。

まぁそういったつらつら述べられる愚痴は置いておいて、当の森自身の「心理化する社会」という問題を改善させるための展望は、バウマンの社会学の考え方―日常生活の成り立ちを探る

で述べられるいわゆる「消費者態度」の改善とかいう話。

おおざっぱにいうと、「心」とか「癒し」を商品として消費するやつらは馬鹿でもっとそれらの裏に潜む社会的な問題に目を向けて、自らの「消費者態度」を反省すべしなのだ、と言いたいばかりに消費者態度の問題へ展開していく。ええ…おそらくそんな単純な話ではないように思えるんですけど…。ウィタカーの心の病の「流行」と精神科治療薬の真実とか読むと必ずしも消費者の問題だけではなく、もっとポリティカルな力関係が働いているようにみえるし、「専門家」自身もよくわかっていないということがよくあるようにも思うんですけど、どないでっしゃろ。

結局、「こころの商品化」の問題は、いろんな領域で共有されているものとしてあるのかもしれないけども、代替案などはみなどれも魅力なし。そんなんでええんかいな。